麻浦の



麻浦区紹介

麻浦区紹介

悠久の?史と?統を誇る、隣人の情が厚い心豊かな麻浦

ここは麻浦区の設立の目的、沿革、麻浦区の象徴物、歴史、行政の状況や洞の由来および関連機関など、全般的な内容について区民のみなさんにご案内するコーナーです。区民みなさんの多くのご利用をお待ち申し上げます。

地名の由来

シンコンドク(新孔徳)洞(Singongdeok-dong)

新コンドク洞は、かつての名前が新孔徳里だったことに由来する。新コンドク洞をなしている単位部落には、マルドゥンテ、シンチョン、カボチャ畑、ホンヘ洞、柿の木畑、桃の木山が挙げられる。シンチョン(新村)は新しくできた村という意味だ。新コンドク洞一帯は朝鮮時代末期までは手付かずの山として、昔の地名をみても分かるように様々な果実の木が植えられていたり、野菜の栽培地であったので、人が住む地域ではなかった。

こんな自然環境の所に人々が住み始めたのは乙未事変が起こった頃だった。日本軍人が横行する都城内の慌ただしい雰囲気を嫌ったかつての判書官位金デガムが、家族を引き連れて落ちぶれ農夫になろうという考えで麻浦ナルまで行ったが、戻ってきて定着したのがこの一帯である。このときから部落が形成されたため、新村もしくはセマウル(新しい村)という名称がついたのだ。

一方、神徳教会のある場所は、大韓帝国のころまで府君堂として使用されていた。当時の背景をうかがってみると、明成皇后の閔氏が壬午軍乱で長湖院の閔應植の家まで避難してきたとき、そこで出会った巫女の李氏が還宮日時(宮廷に帰る日時)を正確に言い当てると閔氏は彼女に眞靈君の位を授け、迷信を絶対的に信奉した。庶民の間では各地に堂が建てられ、閔妃は内帑金(王が個人的な用途に使う金)で府君堂の祭祀ごとに餅と酒を送った。

一方現在は、百凡路に編入された92番地一帯に紅門があったことで紅門の家の場所と言われた。紅門とは、孝行妻・孝行な子供・烈女などの孝誠を表彰するために、また後世の人々にはこれを手本にしろという意味で建てられたものである。紅箭門ともいい、この門が建てられると一族の栄光はもちろん村全体の栄光とされた。しかし紅箭門は孝誠に関する人のために建てるのではなく、単に孝昌園にある紅箭門を意味するのでその点多少の違いがある。

コンドク洞のソウル地方裁判所西部裁判所は麻浦刑務所があった場所で、この近隣にある萬里洞道の東西方面は、刑務所に収容されていた服役囚たちの作業場だった。麻浦刑務所が建築されたとき、中国人労働者クーリーを大量採用して工事に投入したが、このときクーリーたちの集団宿舎が現在の孔徳市場付近だった。刑務所での建築労働時間以外に自分の生計を維持するため、彼らが近所の野山を開墾し野菜畑を耕しながら食用や潅漑用水として掘ったのが、胡人の井戸だ。

京元線孔徳里駅があった場所は刑務所のれんが工場だったが、現在のコンドク洞ロータリーにあたる。この工場は、3・1運動以降麻浦刑務所に収容されていた抗日救国民族運動家たちの作業所だったが、思想犯として特別に区別された抗日運動家はここの作業所には配置されず、懐柔が可能だと判定された人々が配置されたので、朝早い時間に彼らが憲兵隊や看守の監視を受けて作業所へ向かうときになると、近隣に住む人々は怒りに包まれたともいう。



孔德洞住民センター

  • 住所:ソウル市麻浦区萬里ゼイェッ通り84(孔德洞))
  • 電話:02-3153-6500
  • 大衆交通
    • 地下鉄:5号線 エオゲ駅 4番出口(阿峴公園方向)5分距離
    • バス:麻浦警察署停留所:幹線バス(青)160、260、600
      支線バス(緑)7013、7611
      広域バス(赤)1002
      萬里洞コゲ(峠)停留所:604、163、261、263
      マウルバス孔德洞住民センター停留所:麻浦03

ソウル市麻浦区ワールドカップ路212 | Tel : 3153-8114 | Fax : 3153-8998~9
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