新しいマポ(麻浦)、より良いマポ(麻浦)
1866年フランス軍が朝鮮のカトリック弾圧を問題視して、軍艦を率いてヤンファジン(楊花津)に停泊した。
フンソンデウォングン(興宣大院君)は異民族によって汚されたヤンファジン(楊花津)をクリスチャンたちの血で洗い流さなければならないという名目でチャムドゥボン(蚕頭峰)でクリスチャンを処刑した。その後、チャムドゥボン(蚕頭峰)は「頭が切られた所」という意味の「チョルドゥサン(切頭山)」と呼ばれるようになった。
チョルドゥサン(切頭山)殉教聖地一帯は1997年11月国家史跡第399号に指定された。
旧韓末(朝鮮時代末期から大韓帝国までの時期)と日本による植民地時代に活動していたアメリカとイギリスなど15か国から来た宣教師とその家族500人余りの外国人が葬られている。
外国の墓地公園のように異国的な雰囲気が漂う。ここに葬られた外国人の中には、韓国の近代史に名を残した者も多い。