文化観光

疎通と革新からもっと大きくて幸せなマポ(麻浦)を作ってまいります。

マポ(麻浦)の歴史


 

‘川辺の風景が美しく、全国から文人画家たちがよく訪れる情緒あふれる場所。’

現在のマポ(麻浦)の名は、かつてここをマポ(麻浦)江、マポ(麻浦)港などと呼んでいたことから地名が付けられた。ソウル市の中西部、ハンガン(漢江)の沿岸に位置するマポ(麻浦)区は、アンサン(鞍山)から分かれたワウサン(臥牛山)丘陵、ノゴサン(老姑山)丘陵、ヨンサン(龍山)丘陵がハンガン(漢江)まで続き、3つの山脈の沿岸に湖のように発達したソホ(西湖)、マポ(麻浦)、ヨンホ(龍湖)があった。この3つの湖をサムゲ(三浦-3つの浦口)と呼び、そのうち現在のマポ(麻浦)をマポ(麻浦)江、マポ(麻浦)港などと呼んだことからマポ(麻浦)という地名が付けられた。マポ(麻浦)区は、このように昔から水上交通の中心地であり、または三南(忠清道・全羅道・慶尚道の三道)地方から輸送された穀物を保存する倉庫があって早くから発達した漁村が形成された。マポ(麻浦)区一帯は朝鮮前期にはハンソンブ(漢城府)の管轄地域として城外10里内にあったが、独立した行政区域ではなかったと推測される。また朝鮮後期にはトゥモバン(豆毛坊)・ハンガンバン(漢江坊)・トゥンジバン(屯之坊)・ヨンサンバン(龍山坊)・ソガンバン(西江坊)など5つの坊が漢城府の行政区域に新たに設定され、マポ(麻浦)区の一部がヨンサンバン(龍山坊)とソガンバン(西江坊)に属するようになった。

1944年10月23日、総督部令第350号に基づき、ソデムン(西大門)区とヨンサン(龍山)区の一部を分割して現在のマポ(麻浦)区が新設された。設置当時の管轄区域を見ると、アヒョンジョン(阿峴町)・コンドクジョン(孔徳町)・シンコンドクジョン(新孔徳町)・トファジョン(桃花町)・マポジョン(麻浦町)・トジョンジョン(土亭町)・ヨンガンジョン(龍江町)・ヨムリジョン(塩里町)・テフンジョン(大興町)・シンスジョン(新水町)・クスジョン(旧水町)・ヒョンソクジョン(玄石町)・シンジョンジョン(新井町)・ハジュンジョン(賀中町)・チャンジョンジョン(倉前町)・トンギョジョン(東橋町)・ソギョジョン(西橋町)・サンスイルジョン(上水溢町)・ハスイルジョン(下水溢町)・タンインジョン(唐人町)・ハプチョンジョン(合井町)・マンウォンジョン(望遠町)・ユルドジョン(栗島町)など23の町となっている。1945年8月15日に解放されて日本が撤退した後、米軍が進駐して米軍政が実施された。1945年10月16日各区の行政を担当する「区域所」を「区庁」に、「区長」を「区庁長」に改称した。この時からマポ(麻浦)区域所はマポ(麻浦)区庁に、行政区域の名称である「町」は「洞」と呼ばれるようになった。

1955年4月18日、市条例第66号に基づき、それまで「洞会」と呼ばれていたものを「洞」に改め、各区庁には行政洞を別途に定めて行政業務を担当したが、当時マポ(麻浦)区はアヒョン(阿峴)1、2、3、4、5洞、シンゴンドク(新孔徳)1、2洞、トファ(桃花)1、2洞、クァンランドン(観瀾洞)、テフンドン(大興洞)、ヨムリドン(塩里洞)、シンソクドン(新石洞)、セギョドン(細橋洞)など19の行政地域を置いた。

その後、数回洞名及び管轄区域を変更し、1985年9月1日、市条例第2016号に基づき、ヨンガンドン(龍江洞)の一部をヨムリドン(塩里洞)に編入、1989年6月1日を機にソウル特別市マポ(麻浦)区洞の名称及び区域確定条例第84号に基づき、ハスドン(下水洞)全エリアをサンスドン(上水洞)に、マンウォンドン(望遠洞)28番地をソギョドン(西橋洞)に、マンウォンドン(望遠洞)のうち、マンウォン(望遠)1、2洞管轄区域を除く全エリアをハプチョンドン(合井洞)に編入するなど洞契調整を行い、現在に至っている。華やかに生まれ変わったと言える。